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guépard山村と古くから親交があり恵比寿に店舗を構える『PASSOVER』代表の川阪氏を招き、2人の同級生でもありレザーブランド『chamto』を主宰する茶本氏も同席の上2人の出会いからPUMAオフィシャルディーラーとなった最近の展開までの話を、対談形式で伺った。

3月30日・31日とboutique guépardで開催されるPASSOVER POPUPでは、長きに渡りスニーカーシーンを支えてきた独自のセレクト、そして川阪氏のプライベートなPUMAコレクションまでもが並ぶ、大変貴重な機会となっております。 

EVENT INFO

TITLE: PASSOVER POPUP in boutique guépard

DATE: 3/30(sat) - 3/31(sun) / 13:00-19:00

ACCESS: 兵庫県神戸市中央区中山手通2丁目13−8 エール山手 2F boutique guépard

https://www.instagram.com/p/C4-L3InvNP8/

 

 

-お二人の出会いはいつからになりますか?

川阪:大阪の文学総学院で2年間ずっと同じクラスだったもんな。

山村:一緒のクラスだった。

川阪:全身APCで長い髪を後ろにくくって、メンノンから出てきたやついてるやんと思って。飛び出すメンノンや飛び出すメンノン。それが最初の山村のイメージかな。

-川阪さんのイメージは?

山村:大阪っぽいやつ。けどみんなそんな感じで、それこそ全身ギャルソンとか三宅、YOHJIとか、ZARAみたいなんもおるし古着みたいなのもおるし髪の毛ピンクのやつもおるし。

川阪:大阪やから西日本から来る人いっぱいいて、大阪に一人暮らしで出てきた人の方がやっぱりアグレッシブだった。

山村:アグレッシブだったな。だから川阪はかっこええ感じで。ドレッドにイレズミ出してイキッとう感じで。

川阪:イレズミあれあかんかったよな学校で。

山村:そうそう。でも出してた、舌ピアスカチカチさして笑

川阪:当時ボディピアス流行ってた時で、舌とヘソとあと眉毛にも入れてたな。そんで専門学最初始まってすぐ自然合宿みたいなのがあって。

-そういうのありますね。

川阪:丹波笹山に行ったんだけど、汚い手触ってしまってもうボクサーみたいに目の上が腫れてしまって。(笑)

山村:腫れとった!腫れとったな。(笑)

川阪:帰ってきたら眉毛のところ取ったわ。

-影響を受けたものは?

川阪:アメ村のカルチャー、特にオーバーサイズの古着に靴もめちゃくちゃでかいヴィンテージの靴とか履いたりするネオ古着みたいなのが大阪ですごい流行ってて。当時それを流行らせたお店にすごい熱心に通ったり、学生の時たまにちょっとお手伝いとかさせてもらって。ジャングルジャロピーってお店なんやけど?

山村:それを地でいくやつは川阪しかおらんかったな最初は。だんだんみんなそれっぽくなってきて、みんな川にのってった。ちょっとカリスマ感あったな。

川阪:それはないと思うけど…笑 俺はどっちかっていうとファッション専門学校行くような格好ではなかったな。その時ストリートファッション系も少なかったよね?

山村:古着やねやっぱ。ほとんど古着やったな。

川阪:でも山村みたいな感じもおらんかったかな。なんやAPCでオイルドのコート買ったやら、デニムもよう履いてたやん。「セール行ってバイト代全部使ってきたわー」言って。

山村:めっちゃ買ってたもんな。

川阪:一緒に堀江のサープラスとか行ったもんな。

山村:今も服は好きちゃうけどAPCの出しとう雰囲気は好きやねんな。デザイナーの視点とかは今も好きやもん。

-仲良くなり始めたはいつぐらいからですか?

山村:割とすぐ仲良くなったけど、俺が付き合い悪いから普段みんなで遊んだりみたいなのはなくて、学校終わったらすぐ帰るっていう。メガネ屋でバイトしてたしね。

川阪:それで山村のバイトのとこ遊びに行ったりとか、山村んちにもしょっちゅう行ったからなあ。

山村:俺のおばあちゃんのおにぎりめっちゃ食べてたもんな。おれはもう飽きとうから学校でもあげてたら、今度おばあちゃん5つ作ってくれるようになって。

川阪:1限目か2限目が終わってからまず1回山村のおばあちゃんのおにぎりを入れる。おいしい、めちゃくちゃおいしい。

山村:おばあちゃん嬉しくなっていっぱい作ってた。これ川君に持っていきって。

川阪:よーもらったわ。

山村:川遊びに来てもさ、めちゃめちゃしっかりしたご飯を持ってくる。(笑)

-卒業するあたりはどうだったんですか?

川阪:最後の卒業制作がすごい大変で、多分学校から言われたんかな?10人ぐらい集まってセルフショップやれ、とりあえずお店に頼んで委託で服借りてこいって。

山村:つらかったなーあれ。

川阪:多分最初に決まったのが神戸のグラスホッパーさん。そのあと古市君のネクスト行って。

山村:そうそうそう。茶本経由かな。

川阪:それで山村と一緒に行って。もう怖いよ。若いしちゃんと説明できんけど頑張って説明したら「あ、いいですよ」って。

山村:「ありがとうございます!」ってすぐエレベーター乗って2人で「やったー!」ってめっちゃでかい声で。

-めちゃくちゃ良い話。

川阪:不思議なんがなんで俺は就職斡旋されずに卒業したのかって。茶本どうやった?

茶本:いやされてない。されてないっていうか学校の掲示板に紙貼ってるぐらいの。

川阪:あれ何なんやろ。就職するっていうのがよく分からんかったしな。

山村:就職氷河期やったし。求人もないしアパレルも人気やったから2000分の1とか3000分の1は普通やったな。

茶本:就職のタイミングずれて面接したらちょっと怒られたもんな。自分なんでこんな遅れたタイミングで来れるの?って。

山村・川阪:(爆笑)

-卒業した後は?

山村:6月からもうテキサスに留学決まってた。

川阪:山村が行っちゃってから本当にすることなくて、元々服屋で働きたかったから『ウォーキンストア』っていうインポートのヒップホップのブランド扱うお店に入って。ニューヨークのカルチャーとかヒップホップ、ハードコアがすごい好きやったし、周りもそんな感じやったから自然に。実家暮らしでお金もあるから、週末クラブ行って起こった出来事を山村に長文でメール送ったりとかして。

山村:俺は1年で帰ってくる語学留学だったんだけど、全部中途半端だったからちゃんとやろうって思って2年半ぐらいかな。

川阪:一時帰国で帰ってきたら関空まで迎えに行ってそれで何日か一緒に過ごして。ラジオでかかってるアヴィリルラヴィーンの歌詞とか「これなんて言うてるの?」とか「英語でなんか喋って」みたいな。

-めちゃくちゃめんどくさいですね。

山村:バリだるい。

川阪:それよりも一番びっくりしたんがさ、まあ一時帰国とかで山村帰ってくるやん。標準語やねん!こっちはコテコテやん。山村が「なんとかさ〜」「なんとかだよね」とか言ってて気持ち悪い。(笑)英語よりもそっちにちょっと愕然としたよね。

山村:あるあるやねん。留学生あるある。関西人おらんかったし標準語喋る人の方が多かったからな。

川阪:アメリカ行って標準語なって帰ってきてん。関西弁と関東弁のバイリンガルやで。

-山村さんは最初からニューヨークじゃなかったんですね。

山村:おれも一応ファッションやりたかったけど、その時ニューヨークは全然興味なかった。イギリスとかフランスは興味あったけど、一応ニューヨーク行っとくかって感じで行ったらすごい良くて。

川阪:そもそも留学しようってなんでだったの?

山村:イギリス留学してたいとこのところに卒業旅行で行って、そこで初めて海外に触れたんだけど、海外が自分に合ってるなって思って。あと英語ぐらい喋らなあかんなと。イギリス行ってフランス行って、こういうところに身を置きたいと思ってなんとなく話してたら勝手に進んでった感じやな。

-就職は考えなかったんですか?

山村:考えられなかった。

川阪:でも割と成績良かったんじゃなかった?

山村:俺優秀やったで。上から数えた方が早い。

川阪:インターンみたいなの行ってたやん。コムサデモードの。

山村:俺らのチーム誰一人行ってないからねインターン。マジで俺だけ。

川阪:コムサ行ったってん、集団で山村を見に。めちゃくちゃ嫌そうな顔されて。(笑) そのときコムサは全盛やったんかな?

山村:全盛でしょ。みんなコムサを踏み台に、みたいな感じだったよ。今後アニエス行きたいとかAPC行きたいとか言う人が。

川阪:俺はもう出勤初日でカウンターに立ったとき、頭の中で「ゴール!」ってなって。「え、これもうゴールやん…どないしよ」ってなったけど、当時のアメ村て10人来たら1人は常連にさせるぐらいのゴリ押しやったから、その環境にかなり鍛えられて。しばらくしたら店舗の売り上げはずっとトップやったな。

-ニューヨークに行き始めたきっかけはなんだったんですか?

川阪:きっかけは元々大阪で販売員やってた人がニューヨークでスナップ写真とか撮って、それを雑誌にまとめたのを出し始めたのを見て。212magazineっていうニューヨークの市街局番のタイトルで。それがすごいかっこ良くて。その情報を頼りにニューヨーク行って、買ってきたものを勝手に自分の店に並べて売るっていう暴挙に出て。店を辞める直前まで、その頃はもうニューヨークに住んでた山村のところに泊まらせてもらって、ニューヨークと日本を行き来しながらそんなことをずっと繰り返してた。

-暴挙ですねー

川阪:そんでまたニューヨーク行くのに212magazine買って見てたら、ストリートスナップの下にちょっとだけ載ってるニューヨーク情報みたいなところに、手摺りでプリントしたTシャツを出会った人にだけ手売りしてるっていう黒人の人がいてて、当時流行ってたNIKEのスニーカーのデザインにマッチしたデザインもすごいかっこよくて、これや!と。この人に会いたいけどこれはめちゃめちゃディープやなーと思ったけど、とりあえず212magazineに電話で聞いてみたら「NIKE IDのスタジオのドアマンやってるんで、そこ行ったら会えますよ」ってすぐ教えてくれて。当時『NIKE ID』(現在はBy you)が始まったばっかりで情報がほとんどなかったんだけど、また山村のとこ泊めてもらって、とにかくその情報を頼りにまた行ったら本当に彼が立ってて。「君たちの作ってるTシャツを欲しい」って言ったら「何やお前?」「誰なん?」なんみたいな。やっぱ黒人の人たちやから、自分たちのカルチャーを人に取られるのがすごい嫌やったりすごい敏感で「俺たちのカルチャーに興味あんの?どうするつもりなん?」って。「いやいや俺はこういう者で、本当にやってることかっこいいなと思って買い付けさせて欲しい」って話をもうNIKE IDのドアの前でずっと長いこと喋ってたらだんだん向こうも心開いてくれて。「それならいついつ来たら商品持ってくるから見てくれ、名前はアンドリュー言うから」「わかったありがとう」って別れて。

-おお。

川阪:で約束の日にNIKE IDの前行ったらちゃんとアンドリュー立ってて「アンドリュー!」て言ったら「は?何?」みたいな。こっちも「え?」ってなって。どう見てもアンドリューなのに話が全然通じなくて、色々説明してたら「ていうか俺弟のスティーブンやけど」って。双子やったんよね。(笑)

-爆笑

川阪:結局アンドリューはその後山村の家に来て、ちゃんと買い付けさせてもらって事なきを得たっていうか。で俺はその後日本帰るやん。帰ったあとも山村には繋がってもらわなあかんから、ずっとコミュニケーション取ってもらってたら仲良くなってくれて。

山村:その時にもうカザールのコレクションも売ってたからね。それで「これなんや?」みたいな。でもあんまりピンと来てない、ニューヨークのカルチャー好きなやのに。

川阪:山村の持ってるものに興味持ったり、山村がそういう話がすごいできるからかなり気に入られて。

-じゃあ山村さんはそこからそのNIKE IDの双子とも仲良くなって?

山村:毎週ビリヤードやる仲やったな。

-NIKEの社員なんですか?

山村:雇われやな。本職はバウンサー。ドアマンのセキュリティで、結構いろんなところでやってて名物やってんな。2人が一卵性の双子で。

川阪:NIKEの展示会みたいなのがあって「おーいアンドリュー!」って言ったら「いやスティーブンや」って。(笑) 地下にあるクラブとかやったら、地上でどっちかがバウンサーやって地下降りてったらセキュリティでまた同じのおるみたいな。

-山村さんはいつからヴィンテージを集め始めたんですか?

山村:テキサスからニューヨーク行った時期から。ニューヨークで仕事してて、このままじゃあかんなってなぜかカザール買い出して。

-その時はアメリカでどんなものが出てきたんですか?

山村:ディオールとかイブサンローランとかアルピナとか。シルエットっていうやつだったりとかパロマピカソとか、その時そういう辺が流行ってたし周りの人がかけそうな印象があって。当時は今より安く買えてたのね。そのとき古いメガネの情報って何もなかったしあんま知らんからとりあえず買ってた。eBayとかでも買ってたり。

-そこからヴィンテージを発掘し始めたんですね。

山村:クラウディアカロッティっていうカザールみたいなブランドのフレームを持っとって。めっちゃおしゃれで超カルチャー馬鹿みたいなストリートセレブが「それ欲しかったやつや!」って、その時にこれ仕事なるなみたいな感触を掴んで、他にも買い集めてった感じやな。

-それニューヨーク行ってどれくらいの時期ですか?

山村:1年目ちゃうかな。1年目2年目入ったくらい。

-山村さんがヴィンテージ掘り出したところと、川阪さんがニューヨーク行きだしたところが時期的にほぼ一緒だったんですね。

川阪:まだネットもそんなに発展してなかったし、雑誌のニューヨーク特集とかで付録についてるマップとかあれをちぎって、それを見ながら色々回ったりして、行ったら何かしら見つけれたな。

山村:川が買い付けしたバックルをニューヨークの俺の家に忘れてってん。うちのおかんがたまたまニューヨーク来てたから持って帰ってもらったら、帰りの関税で引っかかってた。(笑)

-爆笑

山村:「お母さんこれなんですか!?」「わかりません!」開けたらライオンの顔のバックル。(笑)

川阪:それを取りに行ってん山村の実家に。受け取りだけして帰ると思ったら玄関でそっから山村のおかんがずっと喋りかけてきてん。「あの子アメリカ行って変わったわー!あんなアーペーセーアーペーセー言うてた子が今はヴィンテージヴィンテージ言うてんねん!」て(笑)

-爆笑

山村:新喜劇やんもう…完全に末成映薫やん。

川阪:この成長をめちゃめちゃ俺に語ってくる。だったらお茶ぐらいくれよって思って。(笑)

山村:ひどいなーうちのおかん

川阪:全然家に入れてくれん。バックルも全然渡してくれない。(笑)

山村:話したくてしゃーない。

川阪:めちゃめちゃ言ってたねこの成長。「あんなアーペーセーアーペーセー言うてた子が今はヴィンテージヴィンテージ言うてんねん!」て。(笑)

-PASSOVERとはどうやって繋がったんですか?

川阪:そのNIKE IDのドアマンの双子が『SBWEAR』っていうブランドを始めてて、日本に仕入れて個人で販売しようと思ってたんだけど「日本の面白い靴屋に卸してくれ」と言われて。靴も好きやけども服の方が好きやったし、大阪って有名な靴屋とか当時なかったから、どこやろなーと困って山村に聞いたら、東京に『PASSOVER』ってお店が面白いから見てみって感じで当時のホームページ見せてもらったら、もう見たことないようなスニーカーがすごいアーカイブに並んでて。すごい面白いなあと思ってたらホームページに「ビジネスの話にオープンですよ。いつでもご連絡ください」って当時のPASSORVERのオーナーの人が書いてあったから、よしって電話してみたらすごい気さくな感じで対応してくれて、じゃあ一回ちょっと挨拶しに行きますって言ってすぐに東京行って。そこですぐに『SBWEAR』の他にもニューヨークで見つけたものとかをを置いてもらうようになったのがきっかけやな。

-なるほど。

川阪:覚えてるのがナイキの社員向けにティファニーのアクセサリーみたいなのを、これ売ってくれって山村経由でスティーブンから送られてきて。当時のPASSOVERは本当に手に入らないものをとにかく引っ張ってくるみたいな感じだったから、とりあえずオーナーに送って。それで10万とかだったかな?「これ10万で?まあいいけど…」みたいな感じだったけど次の日に売れたよって電話かかってきて。「ところでなんであれティファニーの箱に入ってたの?」「あれティファニーです」「マジで!?なんで10万!?」って、そんな言いそうな感じちゃう人なのに怒られて。笑

-前のオーナーの方はどこから引っ張ってきたんですかね。そういうレアなものとかサンプルとか。

川阪:その人もすごいアグレッシブで、英語も話せて人と繋がるのものすごい得意な人だったのと、eBayで繋がったセラーが向こうのNIKEに近しい関係の人からサンプルを流してもらったりできる時代だったから、そういう人たちから買ったのをPASSOVERで販売してたみたい。

-そこからPASSOVERに入るきっかけは?

川阪:ウォーキンストアがアルバイトから社員になってたんやけど、年末あたりに有給フルで使ってまたニューヨーク行ったら、その当時の店長がまず本社に怒られて。クソ忙しい時期に自分のところの社員を有給フルで使って何してんねんと。その店長も本社とちょっと揉めてたのもあって、店長から『クビなりました。あとは任した。』みたいなメールが来て、えぇってなって。その時にクビになるかもみたいな感じでどうしようって言ったら山村が大丈夫や大丈夫やと。お前は客がいるから大丈夫やと。ポジティブなこと山村がメモに書いてきてくれて。

-優しい。

山村:川阪パニックって手振れてたもん。タバコやめとったのにタバコ吸い出して。(笑)

川阪:日本に帰ったらすぐ本社に呼ばれて。異動してもらうって言われたんやけど、それならバイヤーをやらしてくれと。いや今日はそういう話じゃなくて異動の話やから、それにバイヤーなんてやりたい子なんていっぱいいるわ、みたいに言われて。いやいやそれ全員並べてくれ、絶対情熱と気持ちとは負けへんし俺もできるみたいな。まぁ若かったじゃん。でどうするってなってじゃあ辞めますと、一応解雇って感じでまぁクビになって。

-なんと。

川阪:当時茶本が派遣の物流倉庫で働いたからすぐ連絡して、そこで働きながら定期的にまた山村のところ行ってPASSOVERに商品を卸すっていうのを2年半くらい続いたかな。

-なるほど。

川阪:それである日PASSOVERの前のオーナーさんから連絡来て、違う事業をやるのでもうPASSOVER辞めます、お店の契約も残ってるしなんだったら引き継いでみる?って感じで言われて。じゃあやりますって、10万円だけ持って東京行ってそれで引き継いだって感じやね。

-すごい急な展開ですね。

川阪:当時26歳で若かったし、にっちもさっちもいかんかったから10万円だけ持って行って。だからもう急に中の人が変わったって感じよ。

山村:PASSOVERの名刺を持って買い付けてくるわけよ。周りがみんな知ってるの。海外でも「PASSOVERなんや!」って。

川阪:名前だけは売れてたからね。ニューヨークのフライトクラブ行ったら横の人が「お前がパスオーバー!?」って。前の人はそれぐらい名前売れてたけど、最初仕入れルートとか何も教えてくれんっくて。彼を頼りなさいと都内に住んでるコレクターの人を一人紹介してもらったんやけど、その人も何もしてくれんくて、そうしたら結局頼れるのは山村しかいない。

-結局頼れるのは山村さんしかいない。(笑)

川阪:フルージョンってナインティーズ古着のスタイルみたいなのが出てきた時で、そういう古着を山村が集めてくれて。

山村:フルージョンラスベガスね。

川阪:PASSOVER自体は名前が知れてたんで、海外からオファーが来たり前の人がやっと紹介してくれたりして繋がるんだけど、海外のは全部山村に頼って。山村が作った英文の定型文を、俺はそれを送りまくるっていう。返信とか分からんかったらまた山村に書いてもらってそれを送るってやって。その後仕入れ先もしっかり確保でき始めて、すぐにリーマンショックもあって要は輸入業やから円高のおかげでお店は成長したかな。

-当時はなにを中心に売ってたんですか?

川阪:主力はやっぱりバッシュとジョーダン。

-当時参考になる価格とかないですか?

川阪:安かったよ。薄利多売には変わりないけども、例えば1ドル80円くらいだったとして、国内定価で15,000円くらいものが7,000ぐらいで仕入れられて、国内定価よりも安く売れたからね。

-今じゃ考えられないですね。

川阪:あと前の前オーナーの名残があって、本当に1足20万、30万とか、そういうものがまだ引っ張れた時で、月5足くらいしか売れなくてもなんとか凌げた。

-山村さんはその頃ニューヨークから帰国していましたか?

山村:帰ってきて、兵庫県内のヴィンテージをとりあえず探し廻ってたな。

-その時はまだあったんですか?

山村:あった。レイバンとかブランド物。

-ニューヨークで地道に買っていたヴィンテージも持って帰ってきて。

山村:そうそう。その時はカザールに集中してて、帰国の時スーツケースパンパンでカザールみたいな。それでカザールも飽きだしてきて、他のブランドもしっかりやろうみたいな感じでペルソールとか集中的に買ったりしてたかな。他にも色々買ってたけど。

-SPEAKEASYを開店する前ですよね?

山村:開店する前で、ニューヨークで出会ったバンコク在住の友達のお店にトランクショーに行ってた。それを何度かやって、でまた買って。並行して海外からも仕入れたりして。

-日本では売ることあんまりなかったんですかね?

山村:なかった。日本人に売るのちょっと嫌やなと思ってウェブも英語で書いてたしね。それもあってバンコクに売りに行ってたかな。

-それがSPEAKEASYの開店資金になったってことですか?

山村:そうそう。

-すごい。それがだいたい何年ぐらいですか?

山村:2012年やな。

川阪:すごかったよ、俺も山村と一緒に行った事あるけど、当時のタイのファッションの初期衝動かなんか知らんけど、みんなこぞって買ってた。お金持ちも。

山村:パッドって友達のお店で毎回トランクショーをやらせてもらっていたんだけど、バンコクには感度の高い店は他に全然なくて、ヴィンテージメガネももちろんないし。

川阪:シンガポールも行ったよね?

山村:シンガポールも1回行った。ギャリーのとこね。あれもしんどかったなー。

川阪:山村何も見つけられんかったしな。俺は大きいお店紹介してもらったりしてまあまあ収穫はあったけど。

山村:リミテッドやったっけ?

川阪:そうそう。マンリープがやってる。

-それは山村さんはヴィンテージを探しに行ったんですか?

山村:そう、ギャリーに会いに行くっていうのもあって、川阪に話したら一緒に行くわって。

川阪:ギャリーがそのリミテッドっていうシンガポールで一番強いスニーカーショップと繋がってたので紹介してもらって。向こうもPASSOVERを知ってくれてて、取引できて俺は収穫はあったんやけども、まあひたすら連れ回されて。ものすごい街中ぐるぐるぐる廻って、1日中連れ回された感覚だった。1時間後に迎えに来るからって言われてギャリーの持ってるマンションに戻ったら疲れて寝てしまって。もう感覚的には3秒くらい、パッと見上げたらギャリーが「行こう行こう」って。なぜか裸で。(笑)

川阪:香港は一回だけだっけ?

山村:香港は一回だけ。

川阪:香港めちゃくちゃ重要な案件で一緒に行ったと思う。香港の取引先で仲良くなったブライアンが話ある言うて商売の。一緒にオンラインで店やろう、香港から商品供給するからって。

山村:ブライアンもほんと面白い奴で、徳永英明みたいな見た目なんだけど、川阪のこと「バカしげ」ってずっと言ってて。(笑)

川阪:関東語やったんよね確か。山村の名前見せたら「象のうんこ」って言われて。象のうんこー!って。

-象のうんこ(笑)

川阪:俺の名前パッて見たら『まさしげ』で「『しげ』はなにもないけど『まさ』はバカだね。バカしげ!」って俺のはストレートだった。笑

-爆笑

山村:よお覚えてんなほんま。

川阪:まあね、楽しかったよね。

山村:何も考えんとやってたからね。

 

山村:映画も出たもんなー。

川阪:そうそう、アメリカの映画撮るディレクターみたいな人が、アメリカと東京、日本のスニーカーカルチャーのドキュメンタルを撮るって。香港のブライアン繋がりの、アメリカでスニーカーのイベントとかやってた仲良い中国人の人がいて「ちょっと間入ってやってて、今度東京行くから会おうぜ!よかったら撮影行こうよ!」みたいな連絡が来て「ああ、面白そうやな、分かった行くわ」っていうメールを送ったらどんどん手伝わされる空気になって、うわどうしようと思って。

とりあえず常連の人とかが結構お店と仲良い人が多いからその人に話して、じゃあ紹介してあげますみたいな感じで当時の主要なショップの何名か紹介してもらって、取材させてくれませんかってアポ取ってOKもらって、なぜかスケジュールも作らされて。

撮影クルーがやってくる直前までアメリカに買い付け行ってて、あれ?どのタイミングぐらいだったっけ?

山村:買い付けから帰ってきてその日やん。帰ってきた日からスタートや。

川阪:そうだった。帰ってきて結構夜やんもう、夜になって、今渋谷やからちょっと会おうぜって言われて。その間に入ってるその中国人の人に。

山村:俺もおったね

-山村さんも神戸から来たんですか?

山村:手伝ってって言われて。

川阪:心許ないから。(笑) よしじゃあお前んとこへ行こうってえぇーっ俺も?と思っていや出たくないって言ったら、お前出なあかんやろって。夜中2、3時ごろ解散なって帰ってきて寝て、起きてすぐ取材スタートして。とりあえず山村とかブライアンも来てもらって、みんなで道を歩いてるとこ撮ったりとか店の前でインタビューを受けたりとか、こっちはもうすっごい緊張してるし、インタビューもいくぞって言われて、答えてくださいって。で正直、何かを考えて仕事してるわけじゃないから何の意見も持ってんの。噛み倒すし。5回ぐらいNG出したらマジで殴られて。なにしてん!しっかりしろ!って。笑

-爆笑

川阪:その後もすったもんだがあって。スケジュール立ててんのに来ないとか、これキャンセルとか言われて、もうこっちは青ざめてるわけ。その中国人のジムにちょっと来てくれって。俺は全部こう頭下げてアポ取ってやってねんから来てもらわなと困るって山村に通訳してもらって。わかったって言われたけど結局キャンセルされて、協力してもらったお店の人に謝り倒して。

山村:付き添いでいっただけなのに俺もめっちゃ謝るみたいな。

-ーえー!(笑)

川阪:もう毎日1週間ちかく2、3時間しか寝れんかったし、インタビューする為にいっぱい人来るからって結構な人数でお店予約したのに誰も来ないとか。とりあえずもう申し訳ないからめちゃくちゃ食って帰るとかして。

山村:杉原杏璃が出てて、スニーカー好きらしいねんけど結局あんまフォーカスされんかったよね。

川阪:そう、全くされん。

山村:なんかあまりにもフォーカスされんとかどういうこと?みたいなのも仲介して。

-えぇ…

山村:PASSOVERの前のオーナーも絡んどって、彼がどう訳すかを聞いとって、みたいな。もう真剣よ。初芸能人真横にして。

-川阪さんのマネージャーみたいな感じだったんですね。笑

山村:いやほんまにそう。

川阪:だけどなんとかそういう撮影が終わって、1年後ぐらい、2012年に公開になって。ちゃんと映画館でやってんの。見に行ったら、歩いてるシーンと「やっぱりASICSが」だけ言って3秒だけ出てて終わってる。

-爆笑

川阪:僕の代表作です。代表作「スニーカーヘッズ」

山村:世界デビューやん

川阪:世界デビュー、初の。

山村:ドクタードリトル撮ってるプロデューサー、チーフみたいな人が監督だったんだよね。

川阪:銀幕に自分の顔出たことあるかな、みんな?

-いや、ないですね笑 山村さん出なかったんですか?

山村:出た出た。足元だけ。

川阪:4人で歩いてるシーンとかも出てるよ。でもおかげさまでその時に知り合った繋がりが今も結構生きてるね。

 

 

-個人的にPASSOVERはASICSのイメージが強くて、ASICSを取り扱うきっかけなどありましたか?

川阪:PASSOVER的にもナイキとかJORDANとかやってたとしても他が手に入らないものとか、他とは差をつけるものを入れて売るみたいなのが先代からあったし、自分のバイイングのコンセプト的にも人と違うものを先駆けてとか常に考えてたときに、凄い色んな靴を買ってるお客さんがいてて、その人がASICSが面白いよって。当時ゲルライトは日本では撤退していて、海外でしか出てなかったんだよね。海外でASICS、ゲルライトって言ったら90年代だったら、まあ、NIKEのAIR MAXみたいな感じの立ち位置でよく売れてたし。ロニー・フィーグの実家がやってたお店(※David Z)のコラボでロニー・フィーグがGEL-LYTEⅢがデザインしてて、あー、なんか面白いなって。それでちょっとずつ入れ始めて。

-なるほど。

川阪:その頃ぐらいから年に2回ぐらいアメリカに買い付けに行くようになって、そこで繋がった大きなお店がASICS強くてもう売れるまでやり続けたらみたいな感じでやったら、割とすぐに反応があって。最初は若いちょっとこじゃれた大学生のカップルが来て「あー!これや!これゲルライトや!」って。あ、こういう人たちのASICS探してたんやと思って。

そんな子らが「トーフさんがー」「トーフさんがこれ履いてるんです」とか言われて「トーフさん?めっちゃ柔らかい名前やん」って後で調べたらtofubeatsさんで。当時彼が結構ASICS履いてたみたいで、全然意図せずtofubeatsさん枠でどんどん売れていって。

-tofubeatsさん枠。

川阪:そう、どんどん売れていって、徐々に色んな人が買うようになってきて、そこから第三ブランドブームみたいな感じでASICS、当時やったらDiadora、Saucony、NIKE以外のブランドが勢いがあって出てきたりとかして、既存の人気あるメーカーにそういうのを乗っけたりして、そこで売上よりもスニーカーショップとしての評価がすごい上がった気がしたね。

一度仲良いお店がexclusive抱えたけども、怖かったんやろうね。何足でもいいから買ってくれって言われて500足ぐらい買ったのかな。出したらまずオンラインで即完、店頭分の販売日は初めてお店に並びが出たね。そこが結構決定打だったかな。その後もいろんなお店の別注とか入れてよく売れたね。

山村:韓国に行ったらさ、アシックスのブラジルモデルのGEL-LYTEⅢめっちゃあってテンション上がってたよな。

川阪:その頃に一回山村と韓国行ってな。

山村:実はブリンクの前で俺らご飯食べてるんだよね。

-へー!

川阪:流通がちょっと変わってて、韓国でセールにかかったGEL-LYTEⅢがあってそれが調べたらブラジルにしかないGEL-LYTEⅢだった。後から出てくるんだけど、韓国が先に出てて。

 

 

-他にもこれに助けられた、みたいなアイテムはありますか?

川阪:当時ジョーダンブランドってジャンプマンマークだけで、JORDAN Ⅰ出たとしてもタンのところはジャンプマーク。オリジナルはNIKEのマーク。で急に、もう絶対出てこないだろうってタイミングでNIKEマークのJORDAN Ⅰ黒赤が、JORDAN Ⅰ Bannedって名前で出て。それが向こうのNIKEとかリテールに出ずにアウトレットに流れたんだよね。それを付き合いのあるやつにもうひたすら集めて、ひたすら送ってもらって、それが本当に高値でいくらでもバンバン売れた。入れば入るだけ売れるみたいな。

あとクエストラブのダンク。赤と黄色があってそれが入れたら飛ぶように売れたな。赤がレアやったな。

 

-夢のような話ですね。

山村:ずっとイキってたもんな。

川阪:イキってないよ!(笑)

山村:ナイキのアウトレット行って「シューズ明細ください」みたいな。(笑)

-うわーそれイキってますね。

川阪:たまにそういうアウトレットとか廻って買い付けとかもしてたから、そりゃもらうよ!当時はバイヤーと繋がってたから、これ全部下さいとか。(笑)

-その後円安、個人で簡単に売買できるアプリの登場、コロナなどありましたよね。

川阪:その後10年くらい掛けて、まず円安になりはじめですよ。アベノミクスで為替が変わってきた。すぐに影響があったじゃなかったけど、ASICSの次何か面白いブランドとか商品がないかなと思って、一時期カンガルースいっぱい入れたけどこれは当たらずで。

-そうだったんですか。

川阪:全然当たらず。リーボックとかはすごい調子良かったけど、その時期スニーカーシーンも結構下火やって。革靴がブームで。映画のスニーカーヘッズあたりが今のブームの初期ぐらいなんで、ずーっと勢いがあった時に俺らって並行でやってるから強豪相手って言っても特にいなかったんだけども、当時見てたのはメルカリだったりヤフオク、個人で売ってる人とかの方がどっちかって言ったら商品が被る。

-そういう流れになってしまいますよね。

川阪:そのうちStockXとかGOATとかそういうアプリで販売ができる、しかも個人で一番高く販売できるってなった時に商品があまり入らなくなってきたりとかして、ちょっと難しくなってきたなー、ていうかもうやる理由がなくなってきたなーと。日本で出なかったものを国内に展開する、紹介するっていう役割に意義を感じていたし、だからASICSのゲイライトの話も、ゲイライトは日本でコケてやりませんでした、海外で盛り上がってます、でもASICSは展開してる。俺はただ単に面白いから入れてやってたけど、最終的にASICSの人もすごい来てくれて。「日本で展開できない間にいろいろとやってくれてありがとうございます」みたいな感じで。やっぱりそういう日本じゃ手に入らないものとかそういうのをいち早く紹介するとか、日本で展開できないものをカバーをするみたいなのがもうなくなってきて。正直コストも高いし。

-その中でも変わらずやってきたことは何ですか?

川阪:徐々に円安も強くなってきたり、昔ほど地域差がなくなってきて展開する商品の、例えば分かりやすい別注コラボとかいうよりも、海外ではインラインで出てます、でも日本じゃ出てません、みたいなものってやっぱり海外限定みたいな感じで面白かったりするから、わかりやすい別注コラボ系とかもちろんチャンスがあれば仕入れたけど、そういうものは結局二次流通でもずっと残っている。

それがみんなの記憶に残ってたりして、『売れます』『売れません』みたいなのだけじゃ面白くないから、インラインで自分が面白いと思ったものを入れるっていうのを一貫してやってきたかな。そういったものって二次流通にも流れないし、いつ出たかもみんなわからない、売れなかったらアウトレットに流れておしまいみたいな感じで、結局そういうのがアーカイブにも残らないし、面白い。

-なるほど。

川阪:そういうのもやりつつも、やっぱり円安で厳しくなってきて、店的にこう今後どういう風なものを入れていくかって時にちょっと立ち返ってみて、やっぱり定番ものっていうのは改めて面白いなと思って、定番で普遍的なものがやっぱり一番面白いじゃないかと。自分自身でもスニーカーも服もいっぱい買うけども、定番的な、いわゆるローテクのもののシューズが結局残ってる。飽きないし履く頻度も高い。一過性な流れで履いていたものとかは、結局残らない。

-そういうのは確かによくありますね。

川阪:これからPASSOVERやっていくにあたって、どういったものを展開していくのか、長く付き合えて普遍的なもので面白いものってなんやろ?って考えてて、元々親交があったPUMAさんに話してみたらすごい前向きに正規取り扱いの話をしてくれてたので、それで試みてみようと思って。PUMAでみんなが思い浮かぶ商品って定番のClydeとかSUEDEとかやん。それらにカラバリとかマテリアルとかのディティールがちょっと違う展開が沢山あって、それ自身も味があって、普遍的なものやけど買い出したらかなり中毒性がある。

-PUMAの定番品はクオリティも高いっていうのも、イメージの1つですよね。

川阪:かなり言い方悪いけど、どうしてもあの、人気のランクが少し下というか。(笑) でもそこも含めて面白いし、そこに魅力を感じて熱狂的なファンもいるし、PUMAの人もこっちがやりたいですっていうことを言ったら、それに対して肯定的に捉えてくれてやらせてくれたりするから、お店のスタンスとしても合ってるなあと。

-PUMA取り扱いが決まったのは去年ですか?

川阪:去年の秋からに契約して、本格的には今年のSSから展開。今もやってるけど、去年からです。

-他のブランドも置いてますか?

川阪:もちろん、でも全然置いてない。うちはセレクトなので、今はほぼPUMAしか展開してない。店頭では特に展開はほぼPUMAしかやってなくて。それが今一番面白いんじゃないかなっていうのと、そこにやりがいがあるかなって。

-定番的なものを良いと感じる価値観みたいなのは、割と山村さんとかに通じるところなんですかね。

山村:いいものを突き詰めたらヴィンテージみたいな。メガネはそうやったけどね。

川阪:ブランドがどうこうとかじゃなくて、この先何十年も残るとか残ってるもの、今年出たもの、5年前出たもの、これが5年後に出たもの、10年後に出たものって、もうそのタイミングなんて別に関係ないし、10年後に良さが分かるような商品、モデルとかもすごい多いからね。定番的に面白いものを正規取り扱いっていう形で、いかにお客さんに提案できるかなっていうのをやってるのが今です。

-そういう意味ではguépardとも繋がりますね。

川阪:繋がると思いますね。

-何よりお2人の仲の良さがとてもわかるインタビューでした。

川阪:まあ、長い目で見たらすごいかなと思う。

山村:あんまないよな。学生時代の友達もそんないないし。

-山村さんがめちゃくちゃ優しいからっていうのもありますね。

川阪:そうね。やっぱ最初すごい助けてもらってるんで。なんかやってること同じっすもん。guépardと。この付き合いがguépardと同じ感じ。でも俺東京住んで山村が神戸に住んでるって距離感も良かったんで。

山村:俺東京苦手。

-2人ものすごい喧嘩したことないですか?

川阪:ないな。

山村:まったくない。ゴリゴリ仕事したことはないもんな。手伝ってる感覚なのでお金発生してない。

川阪:俺は一回山村のメガネをドンって売ってお金に変えたことあるよ。

山村:それお金払ったからな!川に!(笑)

川阪:そうですね。(笑) もちろんそういう協力はあったから。

山村:俺の勝ちやから。(笑) でもそれのおかげでもっとメガネ買えて。これなかったらほんま厳しかったね。

川阪:最初服売ったりとか山村のカザール売ったりとか。まあ最初そういう感じでしてたから。

-いい話。

川阪:めちゃくちゃ仲良く見られてるよな。うちら。

山村:仲良い。めちゃめちゃ仲良い。

川阪:めちゃめちゃ仲良い。

山村:仲良い仲良い。笑

 

 

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:すごい昔のラッパーでスリックリックっておんねんけど

-はい。

:スリックリックってビジュアルがめちゃくちゃインパクトがあって、眼帯つけてゴールドのブリンブリン。ニューヨークからの買い付けの帰り、朝4時か5時ぐらい空港で座ってたら、なんかすごい派手な人やなーて思って見てたらスリックリックやってん。そしたら自分の横座ってああどうしようスリックリックやどうしようどうしようってなって、さっき俺を見送ってくれた山村にすぐ電話して。

-寝てるのに。(笑)

:「何かあったんか!」って「ちゃうねん今スリックリック横にいてんねんどうしよう」って聞いたら「ええ…もうI'm your fan言うとけ」って。笑

それで「スリックリック?」言うたら「イエー!」ってなって「I'm your fan」って言ったら「あそうなん?どっから来たん?」バー喋ってきてくれんねんいろいろ。でも何言ってんか全然分からんくて。そっから30分ぐらい2人してずっと気まずう。笑

-爆笑

:俺はもうスリックリックと喋った喋った思うて満足してん。笑 あれはめちゃめちゃドキドキした。