No.2

アイウェアの枠にとらわれずコラボレーションを行うプロジェクト《yeux de guépard》

その初コラボレーションとして、guépard 2024 ShowcaseのスタッフユニフォームをL’EVERと共作。

コンセプトやデザイン、ハンドメイドまで一貫して制作されたリバーシブルコーチジャケットは、予想を上回るオーダーで半年以上待ちとなる事態ともなった。

今回はL’EVERを主宰するMizuho Watanabeのルーツとこれからの展望、そして5月3日から3日間開催されるPOP-UPについて話を伺った。

 

今回のPOP-UPでは特別に、リバーシブルコーチジャケットにguépardのタグライン「plus lent que moi tu meurs」のシルクスクリーン入りと無地の2パターン、共に生地がお選びできるセミオーダーの他、サイズや生地をお選びできるシャツのオーダーメイド、人気品番のshirts01、shirts05はレディメイドでご購入できるPOP-UPとなっております。 会期中はSPEAKEASY KOBEもご予約なしで来店が可能な特別な機会となっておりますので、是非ご来店ください。

 

 

EVENT INFO

TITLE: L’EVER POPUP in boutique guépard

DATE: 05/03(fri) - 05/05(sun) / 13:00-19:00

ACCESS: 兵庫県神戸市中央区中山手通2丁目13−8 エール山手 2F boutique guépard

※商品のお渡しは6月末〜7月末頃を予定。
※レディメイド商品のshirts01、shirts05は当日お持ち帰り可能です。
※料金は先払いになります。

 

 

--山村さんが渡邉さんと初めて会った時の印象は?
山村:L’EVERとPRESETのポップアップで初めて会って、すげー人が来たなって思ったよね。po-01のオレンジのケースが多分最初に見たプロダクトで、やりとりも直接ではなかったけど、自分の考えてることと渡邉さんが考えてることが結構一緒やなっていう印象で。
渡邉:え、どういう?
山村:会って話もしてないのにオレンジのファブリックでナイロンのテクスチャーこんなんちゃうかとか、その辺の感覚がさすがやなみたいなのがguépardのチームでなったんですよね。
渡邉:あーそっかー。そうだ山村さんとやりとりはしてないもんね、オレンジのメガネケースは一樹ちゃんとやりとりしてたんだ。で、サンプルできたやつを持ってったんだよね。
山村:そう、それに至るまでの会話だけやけど、渡邉さん多分すげー人やなって。
渡邉:まぐれじゃないですか?
山村:それは知らんけど。
渡邉:ちょっと!(笑)
--(笑)
山村:いや僕らのことをちゃんと考えてくれてる人やなって。作り手は結構自分を推してくる方も多いじゃないですか。でもL’EVERの洋服はまだ知らない時期だったけど、そういう発想ができるのはやっぱり感覚が優れてる人やなっていう印象でしたけどね。
渡邉:やっぱguépardが好きだからじゃないかな。ブランディングもやってる人たちも好きだから、メガネを超えてguépardが好き。私が最初影響を受けた人たちのとんがり方と似てるんだよね。
山村:ああそれは嬉しい。
渡邉:誰にも媚びないとか、自分たちがめっちゃ楽しそうにやってて。ああ私もいつかそんな仲間が欲しいみたいな、そんな人たちと一緒に何かやれたら絶対楽しいなって思ってた。雰囲気が子供の頃見てた、自分たちが良いと思うことだけをやっていて、他には目もくれない大人たちに似てるの。でもみんな人間らしい部分も見えるし、それでいてブランドとしてぶれないというか、決してノリでやってるわけじゃないとは思ってるけど、ノリでやってるかのように軽やかに物事をこなしてる雰囲気?っていうのかな?うまく言えないけどそういうのもすごくいいなと思う。
山村:嬉しい。
渡邉:だから逆にもっとメガネのこと勉強した方がいいかなって思ってるのよね。私は感覚でこれが似合うとかこれがいいとかっていう感じだから、蘊蓄は分かんないのよ。
山村:でもそれが本質やと思うんですよね。何がいいかって別にディテールで判断するんじゃないし、モノを見た瞬間にこうグッとくるっていうのがやっぱ大事やなって。良いけど手に取らないものもたくさんあるわけで、それでもL’EVERの服は手に取りたいって思ったんですよね。
渡邉:それはすごい嬉しいです。
山村:そこが結構guépardとの共通点だなって思いましたね。
--その、最初に影響を受けたのはものは?
渡邉:多分兄の影響が大きくて。私たちは兄弟は80年代後半から90年代のストリートカルチャーに影響を受けまくった世代だから、LAST ORGYから始まって藤原ヒロシとかNIGO、高橋盾。その人たちがギャルソン着てたし、高橋盾がまだアンダーカバー始めたばっかりの時に、何かのインタビューで「川久保怜が最も影響を受けたデザイナー」「尊敬してる」みたいに書いてあって、そこから私もギャルソン好きになっていったし、兄もそう、全身ギャルソンだった。


--音楽は?
渡邉:当時は、やっぱりリアルに90年代以降のアメリカのHIPHOP聴いてた。藤原ヒロシも、MUROとかスチャダラパーとかそこら辺みんな繋がってて、そこら辺の人達が聴いてるのを素直に聴いてた。それこそ糸数くんにね、この前当時の本あげたけど、Beastie Boysとかが入り口で、A Tribe Called Questとかとか…自分の兄はどっぷりHIPHOPの人で、もう早々とターンテーブルとか買ってDJとしても活動していた。
--すごいなぁ。お兄さんも相当早かったですよね。
渡邉:早かったと思う。私の実家は村の木造の家で、私はこたつに入りながら駄菓子食べながらTV見てると、2階からドスドスドスドス、ドスドスドスドススクラッチの音がめっちゃ聞こえてくる…みたいな。
--爆笑
渡邉:そういうの聞きたいけど、兄も思春期だから全然喋ってくれなくて。兄ちゃんの部屋こっそり入ってもレコードとかいじったら怒られるし、そのうちこれいいよあれいいよとかいって、いろいろ勧めてくれたりとかっていう流れで。去年母親から「お前これ覚えてるか?」って調理実習で三角巾に使ってたメジャーフォースのバンダナが、ふき味噌包んで送られてきた。(笑)


--ふき味噌!笑 でも周りにも中1とかでそこら辺聴いてる人いませんよね?
渡邉:誰もいない。みんなBOØWYとかB'z、ドリカムとかって感じだよね。だから私は逆にそこ全然知らないから、みんなでカラオケ行っても何歌っていいかわかんないみたいな。
--HIPHOPや藤原ヒロシなどの情報は当時なにから得ていたんですか?
渡邉:情報って言ったら宝島しかなかった。LAST ORGYもそうだけど、宝島にしかそういう情報が載ってなくて、スペースシャワーTVは村だから引いてないし、見れない。月一で宝島買ってその人たちの動向をチェックしていたね。兄にパシリにされてさ、宝島発売だから買っとけよみたいな。
山村:僕、そこら辺全く通ってないんですよね。
--山村さんはどこ通ってきたんですか?
山村:最初バスケから。バッシュ、スケシューみたいな感じだった。で、そこから古着。
渡邉:山村さんって兄弟いるんですか?
山村:僕、一人っ子です。
--身近で影響を受けた人とか、そういう存在はあったんですか?
山村:服を意識した、古着買おうって意識したきっかけは、BOOMとか見てたけど実際着てる人って塾の先生やったんですよ。塾の先生が古着めっちゃ好きで。
--へー、なるほど。
山村:そっからですね。塾の先生にATPのアディジャもらって。
渡邉:それ何年生の時?
山村:それ中1。90年代のバスケのTシャツとか、レイカーズのスタジアムとか、ほんまに流行っとった。そっからなぜかビアバスに走って。
--なぜかですね。
山村:なぜかビアバスに走って、まあアニエスとかも見てたんですけど。ビアバスとかでラングとかマックイーンとか、そういうのを買いだして、お年玉貯めてね。でそういうモード疲れになってからのAPCですね。
--APC行ったのは高校生ぐらいの時ですか?
山村:高校生ぐらい。中3でアニエス、高校でAPCちょっと行きながらのモードでしたね。
渡邉:へー!意外。
山村:HFとか見てたけど、ああいう楽な格好でおしゃれって言われるのええなーみたいな感じでした。モード派としては。
--モードですもんね。
山村:こっちはもうバリバリ。ピチピチでクジャック柄のシャツ。
--そういう話を共有できる友達はいましたか?
山村:全然無理やね。そういう話ができる友達はやっぱりいなかった。
渡邉:いなかったし、いないのが良いって思ってた。どうせ誰も知らないでしょって。
--それは割と優越感にも繋がりますもんね、その時期の。
渡邉:そう。だからキムタクがなんだジャニーズがなんだ〜ってキャーキャー言ってたような同級生たちが上京したてぐらいの時、96年ぐらいかな。エイプのTシャツ買いましたアンダーカバー買いましたーとかって急に言いだしたりして。そういうの見るともうすごいダサく感じて。だから、エイプもアンダーカバーも一着も買わなかった。結局憧れだけで終わったって感じ。通販もしてなかったし。持っていたのは、上京する前に奇跡的ルートで通販したLAST ORGY2のコーチジャケットだけ。
山村:めっちゃ分かるわーそれ。アンチ東京ファッションやったのかな。いまだに日本人の服って、基本的には買わない。
渡邉:ワタシ、ニホンジンデスケド。(笑)
山村:L’EVERの服と他ちょこちょこあるけど、ザ・東京系はマジで一回も手に取ったことない。ドメスティックが流行ってた時もアンチっていうか、ザみたいなのは。
--そんなモード、モードしてる感じだったんですか?
山村:バリバリモードしてた。
--けど今全然違いますね。やっぱモード疲れがまだある?
山村:今は逆に何がいいかわかんない。どっちかっていうとそういうランウェイとかがアンチやな。『ファッション』ていうより、個人のスタイル、その人の表現がやっぱ大事やなと思うんですよね。何が流行ってるかじゃなくて、自分は何を着るかみたいな。
渡邉:あー、それそれ。私もそう思う。ブランドどうこうじゃなくて、何を手にするか、何を身につけるかみたいな。
山村:やっぱ思いますよね。年齢もあると思うけどね。自分らの上の世代もそういう感じなんちゃうかなって。
渡邉:高校のあとはどちらに進学したんですか?
山村:僕、大阪文化服装学院です。
渡邉:そうなんだ!
山村:そこの同級生だったんですよね、PASSOVERの川阪
渡邉:文化服装なんだ。私も行きかけたんだけどね、やめたんだよ。
山村:東京文化ですか?
渡邉:東京の文化服装。パンフレットを取り寄せて、もう行くって決めてたんだけど、やめたんですよ。土壇場で。急にパティシエになるって。
山村:なんでなんで!?(笑)
渡邉:本当は文化服装行こうって思ってたんだけど、当時「時代は文化だ」みたいなキャッチコピーが打ち出されてて、思ってたより文化服装行く人がめちゃくちゃ多かった。隣のクラスのあの人もあの人も行くのみたいになったら、冷めちゃったんですよね。えーそんな感じだったら行きたくないなとかってなって。ひねくれちゃってね。天の邪鬼で。
--ものすごい天の邪鬼…
渡邉:でも東京には行きたかったから、1年間、辻調理師専門学校に。でも入った瞬間間違ったって思って、フランス語の授業も調理実習とか真面目にやっとけばよかったんだけど、全部適当に1年間過ごしちゃって。
--もったいない…
渡邉:ガキの使いの観覧のハガキばっかり書いてた。キヌタスタジオ。それにダウンタウンの出待ち。
山村:むちゃくちゃや…
渡邉:就職もパン屋で働くの嫌だなーかといってパティシエにもなりたくないなーって思って。パティシエの専門行ってるのに。それで友達がサザビー受けるって言ったから、その面接についてったの。自分もなんとなく。そしたら2次、3次と面接受かってしまって、そのまま就職って感じ。サザビーのフード事業部、アフタヌーティーのベーカリー部門。
--アフタヌーティーのパン屋さんだったんですね。
渡邉:そう。でも4年近くやってもうこんなの嫌だ、飲食嫌だ、パン嫌だ、もう食べたくないみたいになって。その時だよね、もう買い物!相当給料も安いのに買い物ばっかりして。
--そのときは何買ってたんですか?
渡邉:洋服。もうギャルソン、APC、ギャルソン、APCよ。買い物で発散するみたいなね。でもいつまでもそんな感じでいるのも嫌で、グラフィックとかパッケージのデザインも元々好きだったから、デザイン関係の方に転職しようとまずはそういう学校行くのにお金貯めてとかって思ってる時に、専門学校の同級生から「みっちゃんが好きそうな話がある」って。「宇宙…いや、これ以上言えない、宇宙の秘密なの」みたいなこと言われて。なんだそれ?すごい気になると思って聞いたら、全然、宇宙でもなんでもなかった。詳しくは言えないけど、これをつけたら勝手に瞑想ができる、みたいな機械だった(笑)
--よくある話の流れですね…
渡邉:宇宙でもなんでもなかったんだけど、勝手に瞑想できるんだ!みたいな。その時がもうストレスにまみれてたのもあったし「これから絶対そういう時代になってくる」って思ってのめり込んでいったんですね。
--おお…
渡邉:そんなビジネスだけど人見知りだし、とにかくコミュニケーション能力がない人間だったから、上司から「キャバクラ行ってコミュニケーション能力磨いてこい」って言われて、次の日から六本木にデビューした。(笑)
--次の日から六本木に(笑)
渡邉:だけど最初お客さんにボロクソ言われて泣きながらやってた。
--キャバクラ時代も洋服はギャルソンとかですか?
渡邉:キャバクラでギャルソンは使えないじゃないけど合わないから、APCのちょっと露出の高いキャミソールドレスみたいなのとか、普段は着れないけどっていうようなの着てた。ピンヒール履いて。髪の毛もベリーショートで。
--なかなかキャバクラでは見ないタイプの人ですよね。
渡邉:そう。だから全然人気なくて最初は。だからそれで最終的にたどり着いた中目黒でヒットしたんだよね。
山村:中目でヒット!(笑)
渡邉:美容師とかアパレルとかの人たちが面白がってくれて。でかいしね。ニューハーフと間違えられたりしながら。(笑)
--ピンヒール履いてたらもう180近くなりますもんね。
渡邉:その時7センチのピンヒールが自分の中でいいと思ってて。7センチのピンヒール履いて。180ちょうどぐらいかな。それにカツラかぶって。(笑)
山村:ほんまクドカンの映画みたいやな…

--APCもはやりお兄様の影響でしょうか?
渡邉:それも多分兄だと思う。奇抜さを削ぎ落とした限りなくシンプルでベーシックな洋服がめっちゃいい!ってなって。高2年ぐらいにAPCのカタログ販売が始まったんだよね。黒電話のダイヤル回してさ、声震わしながら「カタログ送ってください」って。
山村:VPCですね。
渡邉:バイトしたお金で何か買ったり、兄は自分の彼女にプレゼントするからこれとこれ買えみたいな。FAXとかもその時ないし、ネットもないから、注文も全部電話。
山村:店舗ではなかなか買えないデニムがVPCでは買えたんだよね。多分ストックが違ってて。


渡邉:そう!高校の時まだ新潟では誰も着てないし、誰も知らなくて。サンダルとかTシャツ、シャツワンピースなんかを買ったりした。コンパクトなTシャツに台形のスカート履いて、ヒールの革靴履いて、そういうスタイルも好きだったのは、多分ブティックをやっていたおじさんの影響。
--おじさんブティックやられてたんですか。どこでやられてたんですか?
渡邉:自由が丘。
山村:うわ、すごいおじさんがいるんですね。
渡邉:そう、パリのアニエス・ベーをオマージュしたようなお店で、その当時やってたんです。
--80〜90年代の自由が丘全盛期にやってたってことですよね。
渡邉:そう。自分がブランド始めてからおじさんに恐る恐る電話して、何に影響を受けてブティックとかブランドとかやってたの?って聞いたら、ゴダールだって言ってた。
山村:そんな親戚がいるんや。
渡邉:もうリアルにゴダールに影響受けた世代の人で。私はそういうおじさんに憧れてた。見た目は高橋幸宏に似ていて洗練されていて、そのおじさんの兄である私の父は田中邦衛そっくりで、仁義なき戦いに影響受けた人だった(笑)
山村:コントラストがやばい。
渡邉:夏休みになるとおじさん一家が来るんだけど、真っ黒なVOLVO240に乗ってね、横浜からやってくるわけよ。香水プンプンさせて。ああ、この家に生まれたかったなーって、なんで私はこんな田舎臭い村に生まれて、泥だらけになってる親のもとで、片や同じ家から出ているのに、おじさんの家は全てが都会的でかっこいいなって小学生ながらに思ってたよね。そういう想いがずっとすごい強かった。
--やっぱりおじさんも反動だったんですかね。
渡邉:反動だったと思う。桑沢デザイン研究所出て、そのあとはもうずっとアパレル。アパレルの仕事するために上京してっていう感じの50年代生まれの人。だからそういう影響もあって、APCのカタログを見たときに、おじさんっぽいなっていう感じがしたのかもしれない。
山村:へぇー、面白い。
渡邉:で、私は絶対代官山に住む!ってずっとそういう思いを抱いて高校出て、一人暮らしは絶対に代官山と思ってたけど、不動産屋に行ったらめちゃくちゃ高くて。やんわり断られ、で、おじさんがいる自由が丘で収まったって感じだった。
--住んでいたときはおじさんのお店に行ったりとかはなかったんですか?
渡邉:行けなかった。たぶんすごく特別に感じていたから、近寄りがたいというか、おじさんの目に触れないように、おじさんの店の前をなるべく早歩きで通って家に帰ってた。
--絶対違うとこ住んでたほうがよかったじゃないですか。
渡邉:最終的に不動産屋さんにも付き合ってもらって物件決めたんだけどね。だけど「もう大丈夫です」みたいな感じで。おじさんが私の家に来るとかもなかったしね。
山村:かっこよすぎたんでしょうね。
--憧れすぎていた、みたいなところなんですかね。
渡邉:そう。緊張してしゃべれないみたいなね。私は内向的だけど、兄はすごい社交的で、中学1年ぐらいから一人で新幹線に乗っておじさんに会いに横浜まで行ったりして。
--すごい。
渡邉:多分兄もおじさんの影響を受けていたんだよね。NOWHEREの前身みたいなロンディスってお店が原宿にあって、私は行ったこともないし全然わかんないんだけど、そういうお店とか他にも行きたいお店に連れてってもらったりしていて、だから多分兄は東京に馴染みが早かったんだと思う。
--なるほど。
山村:おじさんのお店の名前なんて言うんですか?
渡邉:スパイス。スパイスっていうお店の名前。
山村:おぉー!その時代でスパイスって!かっこいいなー。
渡邉:3店舗ぐらい広げてたみたい。何百万円とかするアンティーク家具だけを販売してるお店とかもやってた。
--それはなかなかすごいですね。
渡邉:だけど、バブル崩壊とともに縮小していった感じ。
--あー、そうか。
渡邉:今は全然違う仕事をしてるね。多分私が小学生の頃が全盛期で、その頃、まぁ私の母親は農家の嫁なんだけど、村だから保育園の先生だったり、大工の奥さんとかさ、お金はあるけどおしゃれな洋服が買えないみたいな女性が沢山いたのね。で、そこにおじさん目をつけたのか、お母さんに、毎シーズン、5パッキンぐらい洋服を山のように送ってきて、売りさばかせてたの。村の奥様たちの集めて。
--すごい!ポップアップですね。
渡邉:農作業終わって、夜からお母さん連中がみんなわらわら集まってきて。そういうお金持ってるお友達がいっぱいいるわけよね。で、座敷の仏間に洋服広げて販売してた。
--想像できない。
渡邉:それをお手伝いするのすごい好きで。そのね、仏間のテーブルに洋服並べてたり、ここにこのコート飾ったらいいんじゃないか?とか仏間だけど笑
--それ結構、原体験的にめちゃくちゃ影響がでかそうですよね。
渡邉:そうだね。シンプルな毛皮のコートからTシャツ、モダンなコーデュロイのセットアップとかもあったり幅広いアイテム売ってて。お金めちゃくちゃ持ってる大人が、バンバン買ってくわけよね。それこそコートも多分何十万もする、ムートンのコートとか。そういうのが自分の家の仏間の座敷で売買されるの見てた。金銭価格が崩壊してしまったのは、多分もうそこらへんだと思う。
--大人たちはこれぐらいのお金普通に持ってるし買うもんなんだと。
渡邉:そうそう。普通に持ってて、お金がなくても分割とかでも買えばいいのかみたいな。
--危ないですね。
渡邉:今思えばショッパーみたいなのもあったりちゃんとしてて、すごいお金かけてブランドやってたんだよね。紙袋もあったし、ビニールの巾着みたいなのもあって。一時おじさんがミニ豚をペットで飼ってたの。そういうのを、豚のグラフィックでオリジナルのグッズ作ったりとか、いろいろそういうのもあったりして。おじさんすごいなーって。
--ペットでミニ豚。すごい。
渡邉:そんなのだから私も兄もおじさん大好きで。だからおじさんの後を追うように兄も同じボルボの古い車に乗って。それを見て私もやっぱりいいなって、追いかけていった感じ。おじさんとは接点なかったし、おじさんと洋服の話をしたりとかってなかったんだけど、なんとなくやっぱり自由が丘にいた。サザビー時代、その当時だよね、フランス映画にどっぷり。DVDがない時代だったけど、レンタルビデオで借りたりビデオ買ったりしながら。
山村:サザビーもそっちとユーロの雰囲気あったもんね。
--フランス映画、やっぱそれはおじさん繋がりですか?
渡邉:いや、おじさんとその話をしたのは去年とか割と最近なんだよね。まさかおじさんがそういうのに影響を受けて、ブランドやってたとは知らなかった。
--そこで合致した感じなんですね。
渡邉:そう。だからかーっていう。
--ちなみに好きなフランス映画はありますか?
渡邉:「ポリー・マグーお前は誰だ?」という映画が今でも好き。1966年にウィリアムクラインがアニエス・ベーに衣装デザインの依頼をして撮った映画なんだけど、私が19歳くらいの時に、確か映画館で上映していて、APCもフィーチャーしてたのもきっかけで観たはず。初めてSPEAKEASYでクレージュのエスキモーを見せられた時、なぜかめちゃくちゃ惹かれて。その時は理由がわからなかったんだけど、ウィリアムクラインが1955年頃からVOGUEのファッション写真を撮っていて、そのクレージュのエスキモーも撮ってたんだよね。そういうのが後から繋がって「あ!コレは自分にとって重要だから買わなくちゃ!」ってすぐ連絡して買ったの。


--そこで色々と繋がったんですね。
渡邉:母親になって自分の子ども達にだけ洋服作ってた時代も、その頃集めていた古い写真集の中からウィリアムクラインの写真を拾って子ども服の参考にしていたり、20代にハマったグラフィックデザインでも、何かとウィリアムクラインの作品に惹かれてきたのもあって、山村さん&エスキモーのサングラスとの出会いで頭の中で埋もれて散らばっていた点が一気に思い出されて、自分の好みには一貫性があったんだと気づいたんだよね。
山村:好きな女優さんはやっぱりアンナ・カリーナでしたか?
渡邉:すごい好きだったあの頃。APCとアンナ・カリーナのイメージが結構合致していて、だからそういう感じでAPCを着てたと思う。アンナ・カリーナを頭に置きながら。その当時はブリジット・バルドーとかあんまり好きじゃなくて。色気がちょっと苦手みたいな。逆に今はブリジット・バルドーの方が好きだったりとか、可愛いなと思うよね。
山村:そうなんですね。
渡邉:当時ゴダールも見てたけど、フランソワ・トリュフォーの映画の方が内容が理解しやすくて好きって思ってたかもしれない。だから最近また見て「こういう内容だったんだ」って感じたり。今は気づくことあるけど、多分50年代とか60年代の、ヴォーグもそうだけど、そういう雰囲気が多分好きなんだなと思う。もうカッコつけて見てるみたいなもんだから、20代の時。意味なんてわかんないよね。フランス映画だと思っていたけど実はアメリカの映画だったとか。この人、フランス映画ばっかり出てるからフランス人だと思ってたけど、アメリカ人なんだとかね。可愛いからただ見てただけ。(笑)
--まあそうですよね。(笑)
渡邉:そう。そうだよ。私は自由が丘に住んでて、APC着てフランス映画見て、東横線沿線に住んでる!みたいな(笑)
--健全なカッコつけですね。(笑)
渡邉:今のAPCはあんまりわかんないけどね。一樹ちゃんとも結構話したけどね、APCの話とかは。
--お兄ちゃんももうどっぷりでしたよ、APC。アーペセーアーペセー言うてた子がって感じでした。
山村:ヤナギも言うてた?
--みんなアーペセーで繋がりますね。
渡邉:そうだよ。私が東京に行って通販じゃなくて初めて店舗で買った、APCで買ったトートバッグがあるんだけど、カーキのね。
山村:あ俺も持ってる。俺のはボストンバッグ、カーキの麻のね。ずっと使ってた。取っ手がボロボロになっても、あれ捨てられなくて。
渡邉:わかるわー!
--そうなんだ。
山村:みんな持ってたよ、APC好きな人はみんな買っちゃうみたいな。
渡邉:そして接客がもうほんとに長居させないんだよね。それがまたすごいかっこいいと思って、客に媚びなくてさ、そういう感じがすごい良いなって東京来たばっかりの若者にはしびれたんだよね。すべてがかっこよかった、内装も音楽もそこに漂ってる匂いから。
山村:ね〜、かっこよかった。
渡邉:でもあんまりいろんなブランドの洋服を着てないんだよね。多分そういう性格なんだと思う。未だにそうだけど、これ好きってなったら、そこで好きなものがどんどん出てくるから、
他買ってる場合じゃないみたいな感じになってくっていうか。その時もギャルソン、APC、たまにズッカとか。
山村:そう、聞こうと思ってた。絶対ズッカもと思って。
渡邉:そうそう、ズッカもだけど、本当にちょろちょろってうくらいで。だからYOHJIも全く買わなかったし。
--ギャルソン行ったらYOHJIもいくみたいな感じですけど。
渡邉:いかなかった。ギャルソン一択だったの。ギャルソンでもラインが色々あったからさ。でも他のブランドと融合させて着るとかはなかった。私は使い分けてたね、自分の雰囲気を。めっちゃ癖強い感じで行きたい時は、もう全身ギャルソンで。

--ヴィンテージへの興味は何から始まったんですか?
渡邉:ちょうど子育て始めますみたいな時に、今まで自分が着てきた洋服とかってどんどん子育てに向かなくなってきて、何着たらいいんだろうってなったんだよね。お腹大きくて着れるものがないって時に、ヴィンテージのミリタリーのグランパシャツとかドレスシャツとか都合よくって。ミリタリーとか汚れても気にならないから産後も着れたり、これは子育てに向いてるぞみたいな感じで、ヴィンテージショップとか古着屋をはしごするようになったのがきっかけかな。
--汚れてもガシッと洗えますもんね。
渡邉:ヴィンテージが結構いいなっていう時にちょうど代官山にARTS&SCIENCEの1号店ができて、ヴィンテージも置いてたりヴィンテージを元ネタにした洋服とかリーバイスとかも置いてあったりとか、こういう感じで子育てしてたらかっこいいなって感じで、ヴィンテージを基盤に生活するようになってた。だから割と浅い。18年前くらい。
--全然深い。
渡邉:ちょうど長男が0歳の時から。それでそういうのを子供にも着せたいと思った時に全然なかったから、じゃあそういう物を作ろうと。どうせ作るんだったらって縫製はヴィンテージの服とかのディテールとか真似して作り始めたんだよね。
--そのときって服作りの経験はあったんですか?
渡邉:高校が家政科だったから被服の課題縫ったりとかそういう経験ぐらい。最初はその時の教科書見ながら作ったりとかして、それがだんだん大人の服も作るようになって、ていうのが本格的な服作りの始まり。
--なるほど、ヴィンテージから服作りに繋がっていくんですね。例えば今までのお話の流れで、今まで影響を受けたもの、世界観を意識したりはしていますか?
渡邉:何かの世界観に寄せたりとか、寄せないとか。今現在はいろんな人生の教訓が積まれてきて、全部自分に委ねてその時その時の感覚で、直感とかで言ったらかっこよすぎるからあんまりあれなんですけど、その時の感覚にただ委ねて。いいじゃんって思うものに力を注いでる。私は一人でこういう感じで、どうなっていくのかもわかんないけど、その時その時の感覚に任せていったら、うん、いいかなって今は思ってる。

--L’EVERはこれからどう展開していくのが理想ですか?
渡邉:オーダーメイドと既製品をお店に卸していくことを両立できたらいいなと。やっぱり1人で全工程全業務には、物理的な限界があって、私はそんなに大量に生産できるタイプじゃないし、バリバリ業務をこなす器用さはない。人間だから絶対バイオリズムもあるしね。体調とかコンディションが乗ってない時に作ったものに、そういうエネルギーがこもってしまうのが受け取る人にも失礼だし、そういう物をお渡ししたくないし、生み出したくないから、縫製とは違うところにも力を注げるようになって、L’EVERを広げていけたらなと。
--自分が縫わないからといってそれが魂こもってない、というわけではないですものね。
渡邉:そう思ってる。自分のアイディアも形にしていきたいけど、お客さんのオーダーを優先していくと、時間の経過とともにしぼんでしまうでしょ?瞬発的に自分が動ける時間を作りたいから。そこからまた何かが生まれてくるかもしれないから。だけど体系に合わせる必要がある人もたくさんいたので、しばらくはオーダーメイドも残していく予定。
--既製品の展開は何を考えていますか?
渡邉:シャツとコーチジャケット。今までオーダーで裏表生地選んで、ボタンも選んでとかって全部お客さんに選んでもらってやってたけど、定番としてコーチジャケットも決まった組み合わせで販売していく予定。なので両面の生地をオーダーできるのも、もしかしたら今のうちかもしれない。
--なるほど。では今回のイベントがラストチャンスですね。
渡邉:今回のイベントはオーダーメイドとちょっと既製品も用意しようと思ってる。コーチジャケットとシャツ、01、05あと新作のシャツを用意する予定です。プルオーバーのシャツ。イメージができてるからあとはパターンに落として、縫製してっていう感じで。間に合わせる…………………予定。
--あくまで予定ですね(笑)
渡邉:いや、間に合わせます。(笑) でもいい感じにできそうなんですよね。
山村:楽しみです。
--コーチはguépard verとL’EVER verで。
渡邉:本体は一緒でプリント入りのguépardバージョン、希望の人は後日プリントをして、それもいずれは工場で作っての既製品っていう風になっていくけど、今回は私が縫う形になります。
--では生地も選べるんですね。
渡邉:生地も選べます。
--今回オーダーしたらお届けはいつぐらいですか?
渡邉:お届けは6月の末から7月末ぐらいになる予定です。
--シーズンが合うアイテムはありますか?
渡邉:生地次第ですね!
--SPEAKEASYも開いてますか?
山村:もちろん。アポ無しでやってます。
渡邉:初めて見に来ましたとか、メガネだけ見に来ましたでもいいし、気軽にね。SPEAKEASYとも合わせて来ていただければ、という感じです。